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ポピュラーの罠

ポピュラーをそまま訳すと

有名とか一般的という意味にとらえる人が

多いと思う。

 

音楽理論にポピュラー音楽理論という

のがある。

ポピュラーだらかポピュラーだろうと

そのまま鵜呑みにしていいのだろうか。

 

ポピュラーな音楽はその国その国によって

さまざま。

インドや東南アジア各国やアフリカ各国を

見てもその国その国によって

ポピュラーな音楽はまるで違う。

 

ポピュラー音楽理論のポピュラーとはいったい

どのポピュラーを指しているのだろうか。

ガムランシタールや三味線は

どこにも出てこない。

 

わかりきった事だけどこのポピュラー音楽理論

ポピュラーは欧米、特にアメリカのポピュラー

をさしている。

 

音楽というのはワールドワイドなイメージが

あるけど現実は全く逆でポピュラー音楽

に世界の共通点はほとんど見当たらない。

 

ヨーロッパ内ですらヨーロッパ各国によって

特長がある。アメリカにも南らしさや北らしら

東海岸系や西海岸系がある。

 

日本人はあまり認めたがらないが

日本のポピュラー音楽は欧米の人達は

全く知らないし見向きもされない。

 

日本人がインドや東南アジアのポピュラーに

何の興味も無いのと同じだ。

ポピュラーという一般性には

その国の固有性がもろに反映される。

つまりポピュラーとは万国共通とは

対極にあると言ってもいいかもしれない。

 

日本人にとってのポピュラーは

ご飯に味噌汁とおつけものだ。

じゃあアメリカ人は何を食べているのだろう。

州によって様々だろうが肉を食べてるという

イメージくらいしかない。

 

アメリカは日本の同盟国だから良く知ってるつもり

でも、実際にアメリカ人が普段食べている

ポピュラー料理すらよく知らない。

 

つまりポピュラーというのは文化的に理解仕合い

にくいものと言えると思う。

日本人はよくアメリカの理論を勉強する。

欧米の音楽は全般的に理論性が高いと言えると

思う。

 

勉強するには理論性が高い方が勉強しやすい。

だが残念ながらそれはアメリカの民族性が

論理を重視する結果を学んでいるだけと

言えるかもしれない。

 

確かに論理性というものは想像では

成り立たないから科学的根拠に基づいている

と思う。科学的根拠は万国共通だろうから、

アメリカのポピュラーは世界に対して有利

かもしれない。

 

ただそれはアメリカ人のポピュラーや

欧米人のポピュラーが論理性を好む結果

だと思う。

 

つまり日本人が本当にしたいこと食べたいもの

とは同じではないと思う。

 

ポピュラーというのは万国共通性を求める事

とは本来は正反対だと思う。

鎖国すべきだなんて全く思わないが、

ポピュラー性を求めると言うことは

自分の国には通用してさらに

海外では通用しないものを、つまり

自分たちのアイデンティティを求める

ようなどちらかと言えば内向き志向な行為だと

思う。

 

最近はサッカーも野球もワールドワイドだが、

昔から日本の音楽は日本国内でしか

通用していなかったし、ご飯とお味噌汁と

おつけものの鉄板が世界では通用しないことを

問題にする人なんていないのだから、

ポピュラーというのはそうあるべきだと思う。

 

じゃないと日本の音楽業界は

異国情緒を楽しめる人にしか

楽しめない業界になってしまう

んじゃないかと思う。

 

日本人が言うポピュラーは

日本の為のポピュラーでなければ

身体に馴染まないはずだから。

 

ただそうなると日本の音楽は

日本でしか通用しない、

アメリカ人からは相手にされない

というあおりが入る。

 

そういうあおりがより事態を

悪化させることになるんじゃないか

と思う。誰だってお前は井の中の蛙

なんてあおりはされたくないだろうし、

耐えられるとしても耐えられる人にしか

出来ない事になってしまう。

そうなればもうポピュラーとは

言えなくなる。

 

もし味噌汁を飲んでたらバカにされる

世の中になったら日本で味噌汁を飲める

のはバカにされる事に耐えられる人だけ

になってしまう。そうなったらもう

味噌汁は日本人にとってポピュラーな

食べ物とは言えなくなる。

それと同じじゃないだろうか。