楽器、機材選び 人間の持つ不思議な力

人間には不思議な力があります。

残念ながら幽霊が見えるとかでは

ありません。

 

楽器や機材などはその不思議な力を

使って選んでいると思います。

その力とは自分の自転車は遠目から

でもたくさんの自転車の中からでも

瞬時に見つけられる力です。

 

楽器や機材も同じで自分のものは

なんとなくわかるようになります。

少なくとも同じメーカーならかなり

判断出来るようになると思います。

 

じゃあどれくらいで判断が付くように

なるのか。これはよくはわかりません。

自分の自転車を瞬時に見分けられる

ようになるのはその自転車が自分の

ものになった瞬間でしょうか。

 

そんなことは無いはずです。そこそこ

乗ってからでしょう。楽器や機材も

同じだと思います。歴が長い人や

プロの人は楽器や機材に対しての意見が

初心者よりも多いです。

 

まあプロの人は歴が長いはずなので

ベテランの人とまとめていいと思います。

そういう人は何に長けているのでしょう。

自分の自転車を瞬時に見分ける能力に

長けているのだと思います。

 

ベテランの人はあれやこれやと意見を

言うけど自分には全く違いは分からない

と感じるかもしれません。

別にそれは何かが劣っているとは

思いません。ただ自分の自転車を瞬時に

見分ける能力がまだ身に付いていない

だけだと思います。

 

そして自分の自転車は瞬時に見分けられる

ようになるように経験を積めば

見分けられるようになると思います。

どれくらいかかるかは分かりませんが

そんなに大したことではないと思います。

 

じゃあ最初に何を選べばいいのでしょう。

最初に何か手に入るて使わないと見分ける

能力は身に付きません。

 

一般的なものなら何でもいいと思います。

安すぎず高すぎずといったものを選ぶと

よいと思います。

 

初心者の人が不安になる理由の多くに

変なものを使い続けると変な癖が

付いてしまうのではないかという不安を

持つと思います。

 

確かに一般的ではない自転車に慣れて

しまうと一般的な自転車に慣れるには

少し時間がかかるかもしれません。

ただ慣れます。一般的な自転車に乗り

慣れていれば一般的な自転車に乗り

変える事にさほど時間はかからない

でしょう。

 

自分の自転車というのは乗った瞬間には

なにも感じないかもしれません。

でも自転車の自転車ではない自転車に

乗ると乗った瞬間に違うとわかるもの

です。

 

このようにしてだんだんわかり始めます。

違いがわかりはじめれば良し悪しも

分かるようになってくると思います。

 

自転車に乗れない時に自転車の乗り心地

は分からないと思います。

自分の自転車を持ったことが無い人は

自分の自転車を見分けられません。

 

じゃあ自分の自転車が見分けられる

ようになって自分の自転車に乗り慣れた

として、自分の自転車が一番かっこいい

または自分の自転車が一番乗りやすいと

思い続けるでしょうか。

 

そんな事はありません。

まだかっこいいとかかっこ悪いとか

分からないうちに自転車を買ったとしても

乗って他人の自転車を見ているうちに

あっちの方がいいなと思うと思います。

 

自分の自転車に乗り慣れたとしても

自転車屋で試しに乗りやすいと

噂の自転車に乗ってみたら確かに

乗りやすくて衝動買いしちゃいたい

気分になる事もあるでしょう。

 

ベテランの人達はそういう経験をたくさん

しているので意見が多くなるのだと

思います。ただ自転車の見た目や

乗りやすさなどは自分との相性による

判断がメインです。楽器や機材も

同じように相性なので人によって

選ぶ物は様々だと思います。

 

 

日本的な音楽を学ぶために

日本的な音楽を学ぶ為には

何をすればいいのたろう。

正直よくはわからない。

正解も無いと思う。

 

ただ勝手にしろと言われても

何をしていいかわからないだろう。

なにもわからないのに

それは日本らしいとか

それは日本らしくないとか

言われてもなんの手がかりも無い。

これはつらい。

 

何を学べば日本的になるのか

何を学ぶと日本的ではなくなるのか

日本的は学べないのか学べるのか

口伝のように受け継がなければ

いけないものなのかそうではないのか。

 

基本的に風というのは口伝が基本

になると思う。風を立証するのは

難しいし立証された風を理解するのは

効率が悪すぎる。

 

こんな風に歌うんだよ、やってみろと

これで済む。難しく考える必要なんて

無い。それで済むならネット内に

大量のサンプルがあるのだから

それを聞いて真似していけばそれで済む。

ネットは口伝的継承にはとても便利だ。

 

新しい呂律には数年間法的に保護される

かもしれないが、古い呂律にも根強い

人気がある。新しくなければいけない

というわけではないはずだ。

 

とは言ってもそれではいまいち

よく分からない。

日本の音楽は欧米の音楽用に調律

された楽器を使う。三味線もお琴も

使わない。

 

日本の音楽はこの口伝的旋律と

西洋的な伴奏を組み合わせて

発展してきたと思う。

つまり伴奏には理論が無関係では

無い事になる。

 

しかし理論を勉強し過ぎると理論的な

ピッチが重視されて口伝的旋律とは

上手く合わなくなってしまう。

 

取りあえず一番簡単な初めて学ぶ

音楽理論みたいなやつを一冊やって

それ以上は勉強しない方がいいという

のが個人的な意見だ。

ただそれで上手く行くのかは分からない。

 

初めて学ぶ音楽理論的な本に

どんな内容が書かれているのかは

分からないが、取りあえずCメジャー

スケールとAマイナースケールがあって

それぞれに機能和声が成り立ち

調性を生むという事がわかれば

それ以上は必要無いと思う。

 

ピッチが揺れるとか変わるという事は

調性はあやふやなはずだから、それとは

別にはっきりした調性があるとわかれば

それでいい。

 

つまり転調を学ぶと良くないという

意見だ。転調させる為にはもとの

調性がはっきりしていないと転調した

かどうかわからない。

 

つまり転調させるということは

ピッチはより調性を重視したものに

するしかなくなる。つまりピッチは

どんどん身動きが取れなくなる。

すると日本的なピッチの

あやふや感とは合わなくなってしまう。

つまり転調を重視するほど

口伝的旋律とは乖離して

しまうのではないかという事だ。

 

インキーという理論は存在するが

特別にインキーであることを重視する

必要は無い場合、CメジャーとAマイナー

を学べばそれ以上は口伝的旋律と

乖離する原因となる可能性が高いので

学ばなくていいのではないかという

のが個人的な考え方だ。

 

CメジャーとAマイナーくらい

勉強しなくてもなんとなく

体感的に知ってるはずだ。

だから勉強する必要もないのでは

ないかと思う。ただ伴奏を作る時には

体感的では面倒なのでちょっと勉強

しておく方が便利かもしれない。

 

だけど理論を学んでもボイシング

体感的経験的なものだと思うので

やっぱりそんな期待するほどの効果は

得られないと思う。

アコースティックギター

基本的なボイシングは決まってるから

それなりの効果はあるかもしれない。

 

つまりやってみる以上の事はないと

思う。

アコースティックギター

基本的なボイシングは決まってるから

それなりの効果はあるかもしれない。

日本の有名なソングライターは

ほとんどの人がアコギをメイン楽器に

選んでる。

 

呂律と法律

何々風というのには厄介な

問題が絡んでくる。

法律だ。

 

かわいい系の歌い方は

多分もとをたどると

アニメの声優の声から

影響を受けているんじゃないか

と思う。

 

これはなぜネコの泣き声が

ニャーになったのかはっきりしない

ような話に似ていると思う。

つまり想像するしかない。

 

おそらくかわいいアニメのキャラが

いてその声はかわいいキャラと

合わさってその声はかわいい声だと

いう認識が広まったのではないかという

想像だ。

 

そして歌手がそのかわいいイメージを

活用して歌って上手く行ったとする。

そしてその声を誇張し萌え声になった

かもしれない。

 

ここまではお互い助け合っていい話し

のようだがその後に困った事になる。

もし他の歌手が同じようにかわいい声

で歌うとどうなるか。

 

パクったと言われるだろう。

かわいい声のイメージは

その歌手が作ったわけではないと

思う。すでにイメージが出来上がって

いたとすればすでに日本全体で

共有していたはずだ。

 

歌手はその共有した印象をもとに

歌ったと想像出来る。

しかし次に他の歌手が同じ事を

した場合、法的に問題になる。

確か数年間は真似出来ないという

内容だったと思う。

 

日本全体で共有していたはずのものが、

違う方法で利用された場合、

パクったと言われるし法的にも

無断使用になってしまう。

 

ネコがニャーと泣き始めたのは

昔からなので法的にもなんの

問題も無いし日本全土でバラバラだと

都合が悪すぎる。

 

無断使用が許可されるのは

数年後なのでネコがニャーと鳴くのは

問題無いが、新しい歌い方をして

上手く行った場合、無断使用が

許されるのは数年後になってしまうのだ。

 

上手く行ったという事はその印象は

既に日本全体で既に共有して

いたはずだ。でなければそういう印象を

その通りの印象として受け手は認識

出来ないだろう。

 

しかしその印象を歌手が活用すると

その歌手にとって有利になるように

法律で守られる事になる。

その人の努力や発想を保護する為だ。

 

確かに考えた努力や発想を保護する

事も重要だ。しかしそれによって

狭い業界はより狭くなる事になる。

難しい問題だが、今の音楽業界に

とっては中小潰しの

足かせになると思う。

 

日本っぽいってなんだ

日本のポピュラーは日本人の

為のポピュラーじゃないと

ポピュラーとは言えないと思う。

 

と言うのは前の話でじゃあ

日本人らしさってなんだと

なると難しくなる。

 

古い言い方ならこぶしがきいてるとか

そういう言い方になると思う。

こぶしがきいてるのは演歌であって

ポピュラーじゃないと思うと思うけど、

日本のポピュラーは現代の日本人には

違和感が感じないようなこぶしが

きいてると思う。

 

萌え声なんかは日本のポピュラーの

影響を受けてるように思う。

かなり違和感があるからかなり

誇張した話し方だけど、緩くすると

昔のポピュラーな感じになると思う。

 

ただ昔のポピュラーを聞くと少し

違和感があると思う。

なんでみんなこんな歌い方なんだろう

みたいな。つまりその時代にはこぶしが

きいてるようには聞こえなかった曲が

今聞くとこぶしがきいてるように

聞こえるんじゃないかと思う。

 

今の曲ももっと後で聞くとこぶしが

きいてるように感じるんじゃない

だろうか。

 

日本のポピュラーは基本的に

こぶしがきいてるのか呂律がきいてる

のか節回しが細かいのか何というのか

効きがある。単純に言えばピッチが動く

という事だと思うが、そういう論理的な

ものではないと思う。言語的に言えば

なまってるという言い方が近いと思う。

萌え声がなまりの一種かどうかは

よく分からないが。

 

ただそういう特長的調性のようなものが

なくなりつつあってそれが日本的音楽の

低迷と大きく関係してると思う。

 

論理的にとらえると論理的にとらえやすい

ピッチが優先されると思う。

ピッチが大きく揺れる事は

論理的にとらえる事には向かないから

廃れていってるんじゃないだろうか。

 

こういうこぶしはファッションのような

ものなんじゃないかと思う。

これがオシャレと思っても数年後には

ダサと言われるようになる。

多分今オシャレとされているものも

数年後にはダサと言われるようになる

のだろう。

 

こぶしにはそういうイヤリングや

ネックレス的なものに近いと思う。

ブルースのように調性の一部の変化

のようなものではなく、全体的な変化

だと思う。

 

つまり全体像、つまり

萌え声とはこのようなものと理解して

いなければ理解しがたい調性なのでは

ないだろうか。

 

イヤリングでも今の時代につけると

ダサいと思われるものとオシャレと

思われるものがあるように、

こぶしや呂律にも今使うとダサいと

思われるものとオシャレと思われる

ものがあると思う。

 

なかなかちょーかっこいいじゃんと

言われるものはなかなか出てこない

ようだけど、あると思う。

 

何故かというと正しいピッチで

論理的に歌っている人を見ると

この人の顔とは似合ってないと

感じるからだ。

 

つまり日本人の顔にはピッチが

揺れてる方が似合ってるように

見える。

 

音楽は基本的に聞くものだが

歌ったり踊ったり弾いたり

している人を見るのも

音楽には避けられない事で、

見たときになんか違う感じがする。

 

音楽的にどうのこうのとかではなく、

単に合ってない感じがする。

という事は多分合ってる感じが

あると思う。

 

グルーヴ感とかも正直よく分からない

音楽的都市伝説のような感じだが、

これもそれに似たような個人的な

都市伝説として論理的なピッチは

日本人の風貌には合ってない

気がする。

 

昔はなんだかかわいい感じの呂律感

とか色気風男子的な呂律感で

歌っててそれがその時代には

合ってたと思うし、日本人の

風貌にも合ってたと思う。

 

つまりこぶしには言語的な呂律感に

通じる統一性みたいなものがあると

思う。ブルースのように調律音楽の

なかのなまった調律の中の一つ

というような部分的な

解読困難さではなく萌え声という

暗号を解読するための公開鍵がないと

解読不可能な暗号化されたような

状態、つまり全体像で理解していくもの

なのではないかと思う。何々風という

のは一部ではなりたたないと思う。

全体が統一された変化の中で何々風が

成り立っているのではないだろうか。

 

これは同じ国や地域などで生活する事で

身に付く語感のようなもので、

そういった統一性を共有するという

のが日本らしい音楽の一部なんじゃ

ないかと思う。そういう統一性は

外国の人とは共有出来ないのだから

結果的に日本固有になるしかない

と思う。

 

つまり単にピッチが揺れているというか

全然違うにしても、何々風という

ファッション的なイメージが統一性から

感じられる。それは固有性の共有だと

思う。

 

猫の泣き声がニャーなのは

日本固有らしがそれは日本全体で

共有している。アメリカではニワトリは

クックドゥードゥルドゥーと

鳴くらしいが日本でニワトリが

クックドゥードゥルドゥーと鳴くことは

ありえない。

 

昔は音楽とファッションはよく一緒に

扱われた。外国ではあまりないと思う。

外国のミュージシャンの服装は

よほど気合いの入った人でないと

着れない。日本人のミュージシャンは

基本的に普段着に近い。

 

こういう統一性を共有するという事が

日本の音楽には大切でこぶしが呂律と

合わさってそういう役割を果たしている

んじゃないかと思う。

 

ただ論理的なピッチが身に付くと

なかなかそういう自由なピッチは

使えなくなってしまうと思う。

 

メロディーを聞いてこんな雰囲気で

歌ってと言うとカラオケでもみんな

出来るのに論理的なピッチ感を

重視すると出来なくなってしまう

という印象がある。

 

あ~というとピッチはうねるが

ミ~というと上手く行くか

音痴のようになるといった具合だ。

 

このあ~という感じがを重視するのが

日本の音楽らしさのように思う。

この~記号は日本人には欠かせない

記号だがアルファベット系の人達は

使わない。まあネイティブな人達には

何か表現方法があるのかもしれないが。

単にhかな。

 

 

ポピュラーの罠

ポピュラーをそまま訳すと

有名とか一般的という意味にとらえる人が

多いと思う。

 

音楽理論にポピュラー音楽理論という

のがある。

ポピュラーだらかポピュラーだろうと

そのまま鵜呑みにしていいのだろうか。

 

ポピュラーな音楽はその国その国によって

さまざま。

インドや東南アジア各国やアフリカ各国を

見てもその国その国によって

ポピュラーな音楽はまるで違う。

 

ポピュラー音楽理論のポピュラーとはいったい

どのポピュラーを指しているのだろうか。

ガムランシタールや三味線は

どこにも出てこない。

 

わかりきった事だけどこのポピュラー音楽理論

ポピュラーは欧米、特にアメリカのポピュラー

をさしている。

 

音楽というのはワールドワイドなイメージが

あるけど現実は全く逆でポピュラー音楽

に世界の共通点はほとんど見当たらない。

 

ヨーロッパ内ですらヨーロッパ各国によって

特長がある。アメリカにも南らしさや北らしら

東海岸系や西海岸系がある。

 

日本人はあまり認めたがらないが

日本のポピュラー音楽は欧米の人達は

全く知らないし見向きもされない。

 

日本人がインドや東南アジアのポピュラーに

何の興味も無いのと同じだ。

ポピュラーという一般性には

その国の固有性がもろに反映される。

つまりポピュラーとは万国共通とは

対極にあると言ってもいいかもしれない。

 

日本人にとってのポピュラーは

ご飯に味噌汁とおつけものだ。

じゃあアメリカ人は何を食べているのだろう。

州によって様々だろうが肉を食べてるという

イメージくらいしかない。

 

アメリカは日本の同盟国だから良く知ってるつもり

でも、実際にアメリカ人が普段食べている

ポピュラー料理すらよく知らない。

 

つまりポピュラーというのは文化的に理解仕合い

にくいものと言えると思う。

日本人はよくアメリカの理論を勉強する。

欧米の音楽は全般的に理論性が高いと言えると

思う。

 

勉強するには理論性が高い方が勉強しやすい。

だが残念ながらそれはアメリカの民族性が

論理を重視する結果を学んでいるだけと

言えるかもしれない。

 

確かに論理性というものは想像では

成り立たないから科学的根拠に基づいている

と思う。科学的根拠は万国共通だろうから、

アメリカのポピュラーは世界に対して有利

かもしれない。

 

ただそれはアメリカ人のポピュラーや

欧米人のポピュラーが論理性を好む結果

だと思う。

 

つまり日本人が本当にしたいこと食べたいもの

とは同じではないと思う。

 

ポピュラーというのは万国共通性を求める事

とは本来は正反対だと思う。

鎖国すべきだなんて全く思わないが、

ポピュラー性を求めると言うことは

自分の国には通用してさらに

海外では通用しないものを、つまり

自分たちのアイデンティティを求める

ようなどちらかと言えば内向き志向な行為だと

思う。

 

最近はサッカーも野球もワールドワイドだが、

昔から日本の音楽は日本国内でしか

通用していなかったし、ご飯とお味噌汁と

おつけものの鉄板が世界では通用しないことを

問題にする人なんていないのだから、

ポピュラーというのはそうあるべきだと思う。

 

じゃないと日本の音楽業界は

異国情緒を楽しめる人にしか

楽しめない業界になってしまう

んじゃないかと思う。

 

日本人が言うポピュラーは

日本の為のポピュラーでなければ

身体に馴染まないはずだから。

 

ただそうなると日本の音楽は

日本でしか通用しない、

アメリカ人からは相手にされない

というあおりが入る。

 

そういうあおりがより事態を

悪化させることになるんじゃないか

と思う。誰だってお前は井の中の蛙

なんてあおりはされたくないだろうし、

耐えられるとしても耐えられる人にしか

出来ない事になってしまう。

そうなればもうポピュラーとは

言えなくなる。

 

もし味噌汁を飲んでたらバカにされる

世の中になったら日本で味噌汁を飲める

のはバカにされる事に耐えられる人だけ

になってしまう。そうなったらもう

味噌汁は日本人にとってポピュラーな

食べ物とは言えなくなる。

それと同じじゃないだろうか。

 

 

挫折した人が語るDJ MIX

なんかよく分からないですがカッコいいですね。

僕も昔やってみようと思ったこともありましたが

即挫折しました。

 

DJが使ってるのがターンテーブルというやつです。

DJ MIXする人はだいたい二通りに別れていて

クラッチメインの人と繋ぎメインの人がいます。

 

似てるようで全然違ってスクラッチ

クラッチビートと言われたりして、

ビートを作る人です。

 

クラッチ大会とかがあってそういうところで

競い合ったり、DJバトルをしたりしている

そうです。

 

繋ぎメインの人はフロアで曲を流す仕事の人が

始まりと言われています。

 

ターンテーブルを見ると凄く高いですね。

最近はPCDJと言ってパソコンに繋いで使う

お求めやすいものがあります。

それをDJ用コントローラーとか

言ったりしています。

 

ほとんどの場合ソフトは別メーカーです。

セラートとトラクターというソフトが

有名らしいです。

それに対応したコントローラーを各社が出してる

という感じですね。

クラッチタイプと繋ぎタイプと両方あります。

 

クラッチは特殊なのでおいといて繋ぎの方を

取り上げたいと思います。

動画で見るとどんどん繋いでいって一曲は10秒

くらいしかかかりませんが、あれはDJの

パフォーマンス用の動画なのでああなってますが、

普通は一曲かけます。

 

だけど曲と曲の間が途切れるとなんか

冷めちゃうのでああいう繋ぎ方で

盛り上げて行きます。

 

DJの見せ場である選曲と繋ぎをダイジェストに

するとああなるという事ですね。

 

音楽理論とかにあまり詳しくない人がああいうのを

見るとあれも音楽だから理論と関係があるのかとか

思ったりするかも知れませんが全くなんの関係も

ありません。

 

基本的にだいぶ前にやったミックスパターン

ですね、低温寄りとか中低温寄りとか中高音寄り

とか高音寄りのミックスの種類がありますよと

いうのをやりましたね。

 

その種類を聞き分けたりしながら繋いでいってる

という事です。

基本的に低温寄りから中高音寄りに行って

中低温に戻って高音域に行くそんな感じです。

 

基本的に感覚だと思うのでパターンは色々

ありますが、組み合わせの種類というのは

低温寄り、中低音寄り、中高音寄り、高音寄りの

4つです。低温寄りと高音寄りを一緒に流すと

ドンシャリの中抜きパターンになるわけです。

 

曲からそういうミックスのタイプを聞き取ったり、

曲の中のパーツを抜き取ったりしてジャグリング

みたいに回していくわけですね。

 

だからあらかじめそういう用意がいるわけです。

そういう用意をセットとか言うらしいですが、

なんせ即挫折なものでわかりません。

 

この繋ぎとEDMのライブの繋ぎは同じです。

だからEDMの繋ぎにも理論は無いという事です。

EDMの場合はそういうパーツを自分で作って繋ぐ

事が多いようです。

 

その方が曲探しをしなくていいので

良さそうですね。

 

EDMのライブとEDMっぽい曲とは全然違いますね。

これもちゃんとわけといた方がいいと思います。

EDM系の曲はちゃんと一曲として出来ていますが、

EDMのライブは動画のDJパフォーマンスのように

一曲10秒くらいしかかからずにどんどん進んで

行きます。

ライブですからお客さんにのってもらうのがメイン

なので20秒とかそー秒くらいありますけど、

基本的には早めにどんどん回して行きますね。

 

こんな感じでしょうか。そんなわけでミックスが

上手くないとEDM系のライブ用セットを作るのは

難しいと思います。

使ってる機材も何だか飛行機のコクピットのようで

よほど器用じゃないとなかなか使いこなすのは

難しそうです。

 

ただミックスタイプのパターンは限られているので

コツコツ練習出来る人なら向いてるかも

しれません。やってみてはいかがでしょうか。

 

僕は即挫折、おまけに買った機材のメーカーが

半年後に倒産するという見る目の無さで繋ぎは

もう嫌です。

 

ただセット作りとかなら繋ぎもコンピューターに

覚えさせればいいので興味有りますけど。

と言いながらなかなかDAWを買わないっていう。

綺麗な音と個性的な音

日本のポップスを大ざっぱに分けると

昭和の後期と平成の前期に分かれると

思います。まあ学術的な定説とかでは

無いので感想に近いですけど。

 

日本のポップスを大ざっぱに二つの

期間で分けるとして昭和の後期が前期、

平成の前期が後期になると思います。

 

前期の頃は綺麗な音が好んで使われていた

ように思います。

後期は個性的な音が使われていたと

思います。

 

綺麗というとあまり悪い印象を持つ人は

少ないかも知れません。

ただ個人的には綺麗な音の印象は怖いとか

危険という印象が強いです。

 

例えば個性的な机を想像してみて下さいと

言うと想像する内容には人それぞれで

かなり違いがあると思います。

 

人がそれぞれ違う想像をするというのは

可能性が広いという事なので楽そうという

印象が僕にはあります。

 

次に売れそうな個性的な机を想像してみて

下さいと言うと、人それぞれやはり違いは

あるでしょうが、それなりの統一性の

ようなものが想像の中に含まれるように

なると思います。

 

売れそうというイメージ、印象が個性的

という漠然とした想像に一定の規制が

働くからそうなると思います。

 

つまり売れそうな個性的な机は範囲は

狭くないにしても売れそうという限定要素

が付加され無限では無くなります。

 

さらに人間の想像力には限界があるので、

似たような内容を想像する人が増える

でしょう。この事は可能性の限界と

同じ意味だと思っています。

 

実際に売れそうな個性的な机を探すと

突拍子も無いデザインの机はなかなか

見つからないと思います。

 

つまり机産業において売れそうで個性的な

デザインの机は種類が少ない訳ではないが

目移りするほどの量はないという事です。

 

これが今の日本のポップスの状況だと

思います。机なら視覚としてはっきりと

認識しやすいですけど、音楽の場合

なんとなく漠然として聞いている人が

多いのでなかなか今の状況を具体的な

感覚で掴みにくいですが、同じ事だと

考えていいと思います。

 

そういう意味を込めて個性的な音という

のは、僕の印象としてはいくらか楽だ

とか、可能性は増やしやすいという

安心感のような印象を持っています。

 

それに比べて綺麗に片付いた机を想像

してみて下さいと言うとほとんどの人が

ある程度似たような机を想像するのでは

ないでしょうか。

 

差は洋式か和式位で基本的には綺麗に

片付いている事に大きな違いは

無いでしょう。この人それぞれのはずが

みんな似たような想像をする状態は

可能性の無さに感じてしまい

僕にとってはとても怖いという印象に

なっています。

 

音楽は基本的にドレミです。七音階の

12音調律です。そしてボーカルの音域

は1オクターブ上がったり下がったり

という極端な差が出ることは少なく

ほとんどの人が似た音域に収まります。

そして歌はメロディーを歌うので

単音の旋律です。

 

おまけに綺麗な音を使うとなると

ただでさえ音階、調律、音域で限られて

いるのに音色まで限られるとその時点で

やることはほとんど限られてしまう

という事です。

 

綺麗な音はダンス向きの音か、バラード

向きの音かで考えた場合、バラード向き

だと思います。バラードというのは

リズムの変化を付けにくい音楽です。

そうなるとリズムの制約まで

付いて来ます。

 

はっきり言ってやる前から前例とさほど

変わらないと決まっているようなもの

です。なので僕にとっては綺麗な音は

とても怖いという印象になってしまい

ます。

 

音楽で綺麗な音を使う場合、この事を

忘れない事が大切だと思います。

聞く人は綺麗だなとしか思ってくれない

かもしれません。

 

綺麗な音を使うことの難しさなどを聞く人

がどれだけ理解してくれるかは全く

分からない事です。

 

ただ綺麗な音を使ってみればその難しさは

すぐに分かると思います。でもその

難しさは聞く人には分からない難しさ

です。綺麗に整理された机の難しさは

みんな直感的に理解すると思いますが、

音楽はなかなか直感的に理解するのは

難しいジャンルです。

 

なので綺麗な音を使う場合、そのような

難しさが伴う事を聞く人に説明しない

限り、前例とさほど変わらないので

聞く人には理解されない可能性がとても

高いと思います。

 

下手をすれば○○に似てると

言われて終わってしまう可能性も

あります。可能性があるというより

そうなる確率の方がかなり高いと

思います。

 

綺麗な音を使う場合にはそのような

怖さが常にあるという事を覚えて

おかないとなかなか使いあぐねてしまう

と思うので、綺麗な音の怖さを

忘れないようにして、そしてある程度

割り切って行かないと使いにくいという

事を覚えておいて欲しいと思います。